2018年10月20日

なくなってしまった?祭

伊勢市と玉城町の境界線が複雑に入り組んでいる大仏山。
大仏山には県営の公園があるのですが、そこにこんなものが...。
どこかで見たような?
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そうなんです、神島のこの祭をテーマにしたモニュメントなのです。
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名称未設定.jpegゲーター祭だ!
posted by M.OKUNO at 19:36| Comment(0) | 医者屋

2018年10月18日

医者屋の四方山話:水風呂

 おむすび型をした神島の山の頂き近くに小さい神社がある。八代神社という名のこの神社は、三島由紀夫が小説「潮騒」の冒頭で述べているように、島の中で眺めの最も美しい場所の一つである。
 私は小学生の時、伊勢神宮の神苑を遊び場所にしていたせいか、神宮のミニチュア版のようなこの神社が好きで、診療が終るとよく、トレーニングシャツに着替えて240段余りの階段を駆け上がりお参りをした。そのうちなぜか、結婚式を挙げるのならここしかないと思い込み、そのチャンスは、一度目の神島の勤務が終えた直後にやってきた。そして、気軽に、神主さんに式を頼み、島の集会場を式場として借り、ある旅館に披露宴の依頼をした。しかし、これが島をあげての大騒ぎになってしまったのである。
 島の結婚式は、三日三晩続いて行われるのが習わしで、最近では、それを敬遠して本土側に行って式を挙げるようになっていたため、神社での結婚式はここ数年したことがなく、まず、氏子一同段取りを整えるのに苦労した。そして、披露宴を引き受けてくれた旅館は、数週間も前から、宴に出す体長70センチは優に越す大きな鯛や、引出物に出す伊勢海老をたくさんそろえ、当日は島にある旅館の板前さんが、総出で料理にあたった。
 式当日は快晴で、我々二人は披露宴を依頼した旅館で衣装を整えて式に挑んだ。ここでも誤算が生じた。私はただ、衣装を着る場所としてお願いしたのだが、旅館の女将さんは、自分の家で花嫁と花婿両方の衣装を着せて送り出したのだから、我々二人は自分達の子供であると頑として譲らず、現在も第三の両親として存在し続けている。
 神社への階段は、私にとっては慣れない羽織袴で足がもつれて大変であったが、文金高島田姿の我が配偶者は、途中で休むとペースが乱れるということで、私と仲人が息も絶え絶えに登っているのを後目にさっさと駆けあがってしまった。平日であるのに、小学生の子供達が舞を踊り、海を渡り松の木々を揺らす風の音にかき消されながら、祝詞が上げられた。神社から式場に向かう沿道には島の人達があふれ祝福してくれた。
 披露宴は、小学校時代からの伊勢の友人達が進行をし、私の好きだったオフコースの曲が流れ続け、門外不出の獅子舞が、反対する長老達を説き伏せて舞われた。青年達は、2次会を全て引き受けるということで、代表以外は披露宴には出席せず、漁を休んで朝から不器用な手で料理をし続けた。
 式が終り、島の外から来てくれた人達は、その日の朝の島に来る船での酔いと、宴の酒の酔いとでふらふらしながら帰りの船に乗った。船が岸壁を離れたその時、大役を果たしほっとした伊勢の友人達が、岸壁で手を振る私の背をどんと押した。もんどり打って冷たい5月の海に落ちた私は、海の中から強ばった顔で笑いながら手を振った。やっと、岸壁に這い上がった私をもう一度押す複数の手があった。今度は誰かわからなかった。再び笑いがあふれる中、ちょっと心配そうな両親の顔が、船の上に見え隠れした。
 海から上がり、寒さに震える私を見て、あるばっちゃんが言った。「風呂がはいっとるよ。はいりな。」私は大喜びで、ばっちゃんについて行き、冷たい服を脱ぎ捨て風呂に飛び込んだ。しかし、風呂は5月の海と同じ冷たさの水であった。ばっちゃんが言った。「あっ、沸かしとくの忘れた。」
 早く暖まるようにと水をかき回しながら目を閉じると、湯になりつつある水と、人々の暖かさが、ゆっくりと体中に染み渡ってきた。

posted by M.OKUNO at 12:54| Comment(0) | 医者屋

2018年10月16日

私、知りませんでした

東京駅の障がい者用トイレを利用させてもらいました。
座った途端「あれっ? お尻大きくなってしまったのかなあ?」
便座が窮屈なのです。
よくよく見てみると、子供用の便座が重なって付いていたのでした。
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名称未設定.jpeg初対面でした。
posted by M.OKUNO at 18:25| Comment(0) | 医者屋