2018年12月12日

にくかぎゅ〜か

昔は確か「まっつぁかにく」と言っていました。「まつさかうし」とは言っていませんでした。
神戸でも神戸肉ではなかったかなあ?
そのためか、日本全国いたるところで、◯◯牛ぎゅ〜、▢▢牛ぎゅ〜、と言っているのには違和感がありました。
でも、肉と言えば何肉? と問うてみると、ある地方では豚肉を「肉」と言い、ある地方では鶏肉を「肉」と言っていた(言っている)とのことでした。
そうか、こちらでは「肉」といえば牛肉だもんなあ。
全国的に売り出すには、ただの「肉」だと区別が付かないからぎゅ〜になったのか、なあ?
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名称未設定.jpegどうでもいいことですが。(いつもどうでもいいことばかりですが)

posted by M.OKUNO at 19:02| Comment(0) | 医者屋

2018年12月09日

医者屋の四方山話:バトンタッチ

 こよしばっちゃんの存在に気付いたのは、私が神島の診療所のたった一人の医者として赴任してからしばらくたってからのことであった。
 島の人達は、ちょっと体の調子が悪いと、診療所にかかるより前に、あるいは診療所にかからずに、こよしばっちゃんのところに行っていた。始めのうちは、なぜあんなばっちゃんの所に行くのだろうか「せっかく、私という医者がやってきたのに。」と思い、こよしばっちゃんのことをある種の占い師か何かと思いをめぐらし、胡散臭くも思い、やきもちに近い感情を抱いていた。しかし、それが大いなる誤解であることはすぐにわかった。
 実は、こよしばっちゃんは、ずっと昔からいる島の産婆さんだったのだ。私が赴任する一年前までは、島には勤続25年の老医師がいたのだが、こよしばっちゃんは、その医師よりはるかに昔から島にいて、親子二代にわたってお産の際にとりあげてもらった人達も数多くいた。
 私の赴任したときには、すでに産婆さんとしての役目は終えていたが、子供から老人まで様々な健康問題について相談にのってくれていた。また、私が、休暇で島を離れた時に、具合の悪い人が出た時もみてくれていた。そんな時は私に遠慮して何も言わなかったが、その対応は正確で的を得ていた。
 こよしばっちゃんは、ずっとずっと島の人達の健康を支えてきた人であったのだ。その存在は空気のようで、地味で、表に出ることはなかったが、島の人達の心の拠り所になっていのは明らかであった。そして、いつしか私も、ばっちゃんを頼りにするようになっていた。特に私は、産科の研修を十分にしていなかったため、万が一出産があるような時には何とかしてもらおうと心密かに思っていた。事実、出産に慣れている島のおかあさん達は、出産直前まで、海女として海に潜っていたりして、私の肝を冷やしていたのであった。
 こよしばっちゃんは、心臓が悪くて診療所にかかっていたが、そんな時は私の言うことをうんうんと素直に聞いてくれる、ひとりの島のばっちゃんであった。ひとなつっこい顔をして、いつもにこにこしていた。
 私が赴任して半年たったある日の深夜、こよしばっちゃんは死んだ。その一生のほとんどを島の人達のために捧げ、赴任して半年間の私の仕事を見て逝った。「これからは、島の人達を頼んだぞ。」と私に告げるようにして逝ってしまった。それは、重い、重い私へのバトンタッチであった。
 翌日、葬儀が行われたが、その時始めて私は、こよしばっちゃんが島には身寄りのない人であることがわかった。しかし、こよしばっちゃんの死を惜しむ人たちの列は、長く長く続いた。
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2018年12月07日

道のない橋

南勢バイパスにあるランニングロード。
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そんな道に架かる橋。
なんでもない橋に見えるが、
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わかるだろうか?
橋に続く道路がない!
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地図上で繋がっていた道を探し出して橋を目指したが、道は草木に覆われて進むことができなかった。
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橋の反対側を地図で見てみると、道は途中で途切れている。
だが、以前サビサビだった橋はきれいに塗り替えられている。
名称未設定.jpeg何だこれは?
posted by M.OKUNO at 17:28| Comment(0) | 医者屋

2018年12月05日

シクスティ・シックス

こういうのを見ると引っ張られます。
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・まず目に付いたのは66。
「ルート・シクスティシックス(route 66)」ですね。小さい頃に見たテレビ番組で、真っ直ぐな道をアメ車(当たり前か)が疾走していく場面しか覚えていませんが、66は深く記憶に残っています。
6つながりといってはなんですが、同じ頃に「サーフサイド・シックス(surfside 6)」というテレビ番組もありました。なぜかこの主題歌の一部は今でも歌えます。
・次はmoon(正式にはmooneyes だそうです。)。その昔、車に貼るステッカーを集めるのが好きでこれもありました。ただ自分の車に貼るのは恥ずかしく、プラモデルに小さいのを貼っていました。
・最後に「outatime」、これはわかりませんでした。調べてみると「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくる車(車種名:デローリアン・市販されていた)のナンバーだそうです。なるほど。
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posted by M.OKUNO at 11:50| Comment(0) | 医者屋

2018年12月03日

医者屋の四方山話」詐欺師

 昭和55年の春、医者になって3年目を迎えた私は、神島に向かう船上の人となっていた。
 医者になってからの2年間は、本来ならば大きな病院で色々な科を回って研修し、将来のへき地の診療所での勤務にそなえる予定であったが、人手不足を理由に、私はへき地にある小さな病院でずっと内科の一員として勤務した。そのため、内科以外の科のことはほとんど知らないままに、医者ひとりっきりの神島の診療所への赴任が決った。そして、その大役に対しての私の知識と技術はあまりに貧弱であったため、赴任にあたっての不安は相当なもので、なかなか覚悟が決らず、船に乗ってからも、まだまだ寒い春の海の風のせいか、はたまた怖じ気づいた武者のような気分のためか、こきざみに身震いをしていた。
 船が神島の港に入ると、桟橋にたくさんの人がいるが見えてきた。船で運ばれてくる荷物をとりに来たり、知合いを迎えに来たりするために集まっているのだろうと思った。船を降りると、町内会長さんをはじめとする島の顔役達が迎えに来ていた。そして、そのうしろには、たくさんの人達の顔があった。手前に、おじいちゃんおばあちゃんの一団、そのうしろにおそろいの服を着た子供達の一団がいた。私が一歩一歩足を進めるにつれて、人のむれが左右に分かれた。そして、みんなが私を見つめて頷き、にっこりしていた。子供達は小さな旗を振り始めた。島の人達が総出で、老人会も、保育所の子供達もみんなで、私を出迎えてくれたことにやっと気づいた。
 ちょうどその日は、地元選出の国会議員が大臣になった報告ということで、私の乗ってきた次の船で、島にやってきた。そして、昼食を兼ねた大臣の歓迎会が島の公民館で始まり、私も出席することになった。机の上には見たこともない大きな鯛が出されていた。大臣の挨拶が終り、酒がつがれ始めた。当初は、大臣につぎに行く人の方が多かったのが、酒が進むにつれて私の方に来る人が多くなり、口々に「よく、島に来てくれた。ありがとう。」とお礼を言ってくれた。私も始めは恐縮していたが、酒が入るにつれて、だんだん気分が大きくなり、大いに悦に入っていた。横目で大臣の方を見ると、笑顔を見せつつもやや憮然とした表情を時折見せていた。
 歓迎会が終り、大臣を見送り一息ついていると、今度は先生の歓迎会をするから来てくれとの知らせが入った。島の主だった人達が集まっての会で、またまた大きな鯛が出ていた。昼の歓迎会の鯛よりちょっぴり大きいのだと島の長老が自慢した。
 会が終り、ふらふらした足取りで診療所兼自宅へ戻った。布団袋を開け、何もないだだっ広い部屋に、布団をひいて寝ころんだ。何も出来そうにない医者が、島の人の大歓迎を受けて気持ち良くなっていた。しかし、仰向いて天井板の木目を眺め、波の音に耳を傾けていると、徐々に酔いが覚め始め、自分の中にある大きな不安と島の人達の大きな期待が重く体にのしかかってきた。出来ることなら、このままそっと逃げ出したいとまで思った。
 神島初日の私は、まさに三流の詐欺師になったような気分で一杯だった。
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posted by M.OKUNO at 11:54| Comment(0) | 医者屋