2019年05月12日

医者屋の四方山話:寝たきりゼロ痴呆ゼロの秘密(1)

 昼間は真上から照りつけていた太陽が西の空に低く位置し、白色からオレンジ色に変わり、やさしい光をあたり一杯にまき散らす頃になると、小高いところにある神社の鳥居の横や、伊来湖水道を見おろす崖っぷちや、巡航船が着くのがすぐに見える桟橋の近くといった、島の決まった場所に、老人達が集まってきます。
 私の勤務している診療所のある神島は、伊勢湾の入口に浮かぶ、縦横1キロメートル足らずで周囲が約4キロメートル、漁業を営む約500人の人達が住む小さい小さい島です。この小さい島で人が住んでいるのはさらに狭く、台風による強い南風を避けるために、わずか200メートル×400メートルの北斜面にへばりつくように家々が密集しています。ここに住む老人の数は150人余り、へき地のご多分に漏れず、65歳以上の老人の占める割合が約30%という高齢化の進んでいる島です。しかし、驚くなかれ、寝たきり老人の数はゼロ、痴呆老人の数もゼロなのです。しかもこの現象は今だけのことではなく、私がこの島とかかわり合うようになってから20年が経とうとしていますが、私の記憶にある限りにおいて、寝たきり老人も痴呆老人も、多くてひとり、ほとんどゼロなのです。その理由は、私の行っている医療が良いからなどというつもりは毛頭ありません。島の生活の中にその秘密が隠されているのです。ということで、これから数回に分けて、私の独断と偏見も加えて、この秘密を解きあかしてみたいと思います。
 さて、冒頭に述べた老人の集まってくるところですが、すべてに共通点があります。それは、昼間がどんなに暑くても、夕方になると海から吹いてくる風が心地よく通り抜けるようになる場所なのです。(これが冬になると、風の吹かない、ぽかぽかの日溜まりへと場所が変わります。)さてこんな気持ちの良い場所に老人達が集まってきて、いったい何をするかというと、特に何をするわけでもなく、ただただおしゃべりをするだけなのです。少しそばにいて聞き耳を立てていると、話の内容は、これまた特に決まったものでもなく、お天気の話に始まり(これは必須)家族のこと、孫のこと、体のこと、はたまたうわさ話や目の前を通り過ぎる島の人を即興の題材にしたりと、話題はあっちこっちに飛びます。時には、漫才師の如く掛け合いが始まり、そのおもしろさもさることながら、その機転のすばらしさには舌を巻いてしまいます。しかし、それぞれの場所に集まるのは、いつも決まったメンバーで、いつも話題が変わるわけでもなく、何回も何回も同じ話が繰り返されたりしています。それでも、いつもとても楽しそうです。また、こんな気持ちの良い場所ですから、老人ばかりでなく、お風呂あがりの現役バリバリの漁師や、よちよち歩きの赤ん坊とその母親や、キャッチボールに疲れた小学生たちも時には一緒に腰掛けて話に加わります。そして、日が暮れて、お互いの顔がはっきりと見えなくなる頃になると、いつとはなしにそれぞれの家に帰って行きます。
 さて、こんなたわいもない風景ですが、ここに寝たきりゼロ痴呆ゼロの秘密のひとつが隠されていると、私は思います。
 ちょっと考えてみて下さい。皆さんも、人と相対して話すためには、常に相手の言っていることに耳を傾け、それに対して頭の中で考え、それをまとめて口に出すことがいかに大変な作業であることがわかると思いますが、島の老人達は、それを毎日、こともなげに行っているのです。確かに、島の老人達は生まれてからずっとの長い付き合いで、相手の性格もいやというほどわかっており、話すだろう内容も(いつも同じだから)予想がつくにしても、大したものです。日常の、ごく当たり前の生活の中に、頭をくるくる回転させる作業が組み込まれているのです。これでは、なかなかボケることはできません。
 一昔前までは、夕方になれば、どんな街にでもみられた光景であったかも知れませんが、今では、老人同志が、自分の家を一歩出たところでこのようなことをするのは、多くのところでは不可能でしょう。もしできたとしても、老人会とか、老人ホームとか、デイサービスとかいった特別な場所に出かけていかなければならないでしょうし、相手も幼なじみばかりとはいかないと思います。たとえば、都会で一人暮らしの老人を想像してみて下さい。一日中一人で話し相手もいなければ、話し合うという、最も簡単に頭を使うことができる作業ができないわけですから、ボケてしまっても無理はありません。
 我々が、とてもストレスがかかっている患者さんに対して行う面接技法に「アクティブリスニング」というのがあります。とにかく話を聞くことに徹して、結果として、簡単にいえば「ああ、話をしてすっきりした。」という効果をねらったもので、そのポイントは「聞き役に徹する。話の主導権を取らない。話を途中で妨げない。話を引き出すよう相づちを打ったり質問を向ける。事実を聞き、考えを聞き、そして感情を聞いていく。善悪の判断や批評はしない。相手の感情を理解し共感する。安心させサポートする。」などがあげられます。気の置けない仲間が何となく集まって、たわいもない話をして、すっきりとして一日を終わるというのは、この「アクティブリスニング」に類似した効果も得られているのではないかとも思います。もちろん、うわさ話が盛り上がって、話を途中で妨げたり、善悪の判断や批評をしてしまったり、感情がぶつかったりして、若干異なってしまう場合も多々ありますが、これはご愛敬としておきましょう。
(1999年記)
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posted by M.OKUNO at 16:53| Comment(0) | 医者屋
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